なぜ疲れているほど、寝るのが惜しくなるのか
DustEcho編集部

目が重くても、指はまだ画面を滑らせている。見なければならないものがあるわけではない。ただ心の奥で、「もう少しだけ、今日は終わってほしくない」という声がしている。
日中の一分一秒は、あらかじめ誰か他人に取られている気がする。会議、返信、突発の対応、あれこれの世話。ぼんやりする隙さえ、空いた時間をねらってやってくる。ベッドに倒れ込む頃には体はへとへとだが、脳だけがふと目を覚ます。一日で唯一、誰もドアを叩かない時間を、ずっと待っていたのだ。
日中の時間は「貸し出した」もの
気づいていたかもしれない。月曜から金曜まで、本当に自分のものになる隙は少ない。水を一口飲むにも、仕事の合間をねらう。この「埋まっている」状態は偶然ではなく、日々のデフォルトだ。だから夜のわずかな覚醒が、「誰のものでもない」と言える唯一の瞬間になる。
遊びたいからではない。自分だけの時間があまりに長くなかったから、体はその欠けを覚えていて、夜になると必死に埋めようとする。
あの静けさは、誰もノックしない部屋
日中は電話が鳴り、グループが沸き、誰もがいつでもあなたに届く。深夜だけ、世界は静けさを返してくる。何もせず、自分の呼吸を聞くだけでいい。あの「誰も私を必要としていない」ゆるみは、日中には絶対に手に入らない。
だから明かりを消すのが惜しい。消せば今日が正式に終わり、また切り刻まれ他人に領収される明日に戻る。深夜は、一日のなかでただ一つ鍵のかかった部屋なのだ。
眠れないのではない、終えたくないだけ
切り分けたい。あなたは不眠ではなく、「終えたくない」のだ。
不眠の人は横になっても眠れず、止まらない思考が巡る。あなたは違う。眠れるのに、あえて眠気を後ろへ押しやる。疲れは本物だが、「今日をもう少し延ばそう」という思いの方が本物だ。数分のスクロールでも、自分のものをこっそり取り戻すように感じる。
だから疲れるほど夜更かしする。へとへとだと日中の占拠された感覚が鋭く、夜の補償がいっそう貴重に、いっそう手放しにくくなる。
空いているほど、手放せない環
もう一層、隠れたものがある。日中の欠けが大きいほど、夜の「補償」は十分でなければならず、そうでないと今日も無駄に終わった気がする。
そこで逆転が起きる。体が疲れるほど、脳は自分を許さない。夜更かしをして「ようやく自分のために生きた」と確認する。代償に明日の疲労を払ってもだ。この環は軽く回り出すが止めにくい。なぜならそれが養うのは怠けではなく、長く受け止められてこなかった欲なのだ。
まずは、その時間を自分に返そう
いきなり早寝を無理強いしなくていい。あなたに足りなかったのは自律ではなく、堂々と自分のものだった時間だ。
日中に少しでも切り出してみる。通勤中は返信しない、昼休みは画面を十分オフにする。わずかでも体は「私にも取っておかれた部分がある」と信じ、夜の「もう少し」という衝動が緩む。
深夜については、それが本当に息つく隙なら、急いで消さなくていい。存在する必要を認めてから、少しずつ前倒しにする。もし今夜も眠れずにいるなら、せめて知っておいてほしい。あなたが手離せないのは画面ではなく、誰にも説明しなくていい自分だったのだと。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。