なぜ好きなことに気持ちが向かなくなったのか
DustEcho編集部

友だちから連絡が来た。以前なら絶対に駆けつけたあの賑わいに、今週末誘われた。半年前なら「行く行く!」と叫んでいたのに、今あなたは画面を見つめて思う。──やめとくか、疲れたな。体が疲れるんじゃない。その「行きたい」という力自体が、すっと抜かれてしまったような疲れだ。そして少し慌てる。私、以前はこんなんじゃなかったのに。
昔の投稿を遡ってみる。取るに足らないことで数日も喜べたのに、今は良いことも悪いことも何か隔てがあって、ぴんとこない。変わったわけでも、冷たくなったわけでもない。心の中の「したい」という小さな火が、何かにそっと搾り取られただけだ。
したくないんじゃない、「したい」こと自体が高くつくようになった
こういう状態を私たちは「怠け」とか「やる気ない」と呼びがちだ。でも違う。
怠けは何がしたいか分かっていて、ただ動かないこと。これは「したい」という気持ちそのものを起こせないことだ。その物事に興味がなくなったんじゃない。あなた全体の「起動コスト」が高く上げられてしまったのだ。電池残量1%のスマホが、電源を入れることさえ躊躇するようなもの。
これは性格の問題じゃない。ある期間、あなたは「したい」を使いすぎた。仕事に、背負わなきゃいけないことに、喜びのない「やるべき」ことに。口座の残高はとっくにほとんど引き出されていた。
感覚が鈍ったんじゃない、ただ電池が切れただけ
さっき「何も感じない」は磨りガラスのようだと言った。傷つくのを恐れて下ろしたカーテンだ。でも今のあなたはカーテンじゃない。プラグを抜かれたランプだ。光るのを拒んでいるんじゃなく、電気がないだけ。
だから「私って感覚が鈍ってきたんじゃないか」と自分を脅さないで。鈍さは防衛だ。自分が隠れていると分かる。この空虚さはただの消耗だ。あなたは自分がどうなっているか、今も気にしている。その気にするということ自体が、線がまだ繋がっている証拠だ。ただ今は電流を流せないだけ。
休めば休むほど、空っぽになることもある
一番ややこしいのはここだ。二日休めば戻ると思っていたのに、本当に止まると、かえって空っぽになる。
普段あなたは「予定」「計画」「急ぎ」で支えられている。それらは松葉杖のように見えて、まだ歩いているふりをさせてくれる。それを引くと、自分があまり立っていられないと気づく。しかも休みは自動で充電されない。深く消耗した人が三日横になんでも、戻るのはわずかで、「満タン」にはほど遠い。
ここで一番やりがちな間違いは、急いで自分を「直そう」とすることだ。講座に申し込む、無理に外出する、自分に元気を求める。でも空の口座を無理に使うと、さらに借金が増えるだけ。
火花を取り戻そうと急がないで
今がそうだとしたら、これをすぐ解決すべき故障だと思わないで。
まずはごく小さなことから。その火花が一時的に消えていると認める。自分を「つまらない」と責めず、無理に賑わいに合わせなくていい。電池1%のスマホに、充電中に画面を連打して電源を促すような真似はしない。充電台に置いて、他のことをするだけだ。
時折、ほんの小さなものが自分から灯る。風、なんでもない一言、古いメロディ。なぜ今なのかと分析せず、もっとと掴みもしない。そのかすかな光を、そこに居させておけばいい。
火花はあなたがなくしたんじゃない、ゆっくり使い果たしたのだ。戻るにも、ゆっくり充電するしかない。すぐにあのすぐ灯る人に戻る必要はない。ただ、まだ暗い間は、慌てず、今も光っていると証明しようと急がなければいい。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。