なぜ私はいつまでも回復できない気がするのか
DustEcho編集部

休みを取った。たくさん寝た。山にも二日行った。席に戻った瞬間、少し軽くなっているはずだった。でも、あの重さは置き去りにした場所にそのままあった。
休みたくないわけじゃない。ただ、あなたには「充電」する機能がないみたいなのだ。他の人は休んで回復するが、あなたは休んで「減るのを止める」だけ。止まってもバッテリーは元の数字のまま。
寝たはずなのに、起きると空っぽ
多くの人は「疲れ」を直線だと思っている。働きすぎれば空っぽになり、十分休めば満たされる、と。でもあなたの体験は違う。九時間寝ても、目覚めはスマホの画面をひっくり返したようなものだ。画面はついたが、バッテリーの目盛りは動いていない。
問題は、あなたが「休んでいる」と思っていた時間に、見えないどこかで体がまだ動いていたことだ。仕事をする側が回っているのではない。もっと小さな機械——あなたの代わりに見張る機械——だ。明日のあれはうまくいくか、さっきの言葉は強すぎなかったか、今月の進みはまた遅れていないか。それは眠らないから、あなたも本当には休んでいなかった。
体はそこにいても、頭はログアウトしていない
ソファでドラマを観ている。表面はリラックスしている。でもスマホが震えた瞬間、糸で引っ張られたように全身が跳ねる。あなたは「ちょっと見るだけ」と思うが、その糸は繋がったまま、緩まない。
この「オンライン」は狡い。汗もかかないし残業もしないが、ずっと電力を食う。蓋を閉じたノートパソコンのファンがまだ回っているようなものだ。消えたように見えて、バックグラウンドのプロセスは一つも終わっていない。使うときには、まだ熱を持っている。
だから「休れなかった」のではない。休むポーズは取ったが、休むスイッチは押していなかったのだ。
井戸──汲むほうが、雨が溜まるより早い
これは井戸だと思ったほうがいい。毎日あなたはそこから水を汲む。人に対応し、用を済ませ、感情を崩さず保つこと、全部が水汲みだ。理想は夜に雨が降って、井戸が少し戻ること。
でもあなたの雨は薄すぎる。仕事の後もあなたは汲み続けている。今日を反芻し、明日を予習し、関係の中で丁寧に顔を保つ。雨が追いつかない。井戸は下がり、あなたは「かろうじて足りる」で凌いでいる。
回復しないのは怠けではない。あなた自身が井戸の吸水口に布をかぶせているからだ。本当に空っぽになることを許さない。空になると慌てるから、「無駄にしている」と感じるから。
弱いのではない。回復システムがずっとバックグラウンドで動いている
これを「私は脆い」「もっと鍛えないと」と説明しがちだ。だがもっとありそうなのは、回復の仕組みが一度もまるごと回りきったことがない、ということだ。
必要なのは長い時間ではなく、誰にも求められず、追われる目標もなく、元気な顔を期待されない空白だ。その空白は、あなたには残業より手配しづらい。なぜなら空っぽになると、さっきの小さな機械が勝手に動き出し、あなたの代わりに心配し始めるから。
だから壁は体力ではない。あなたが「何も起きていない」状態に入るのを許さないことだ。頭がバックグラウンドにいる限り、体はいつも待機状態で、決して充電していない。
満タンを目指さずに、まず漏れ口を見る
「じゃあ今度の週末はもっと寝転がっていよう」としても、たぶん効かない。問題は時間の長さではなく、漏れだ。
軽く一度試してみてほしい。数分だけスマホを伏せ、返事もせず、何も計画せず、ただそこにいる。その数分の間、小さな機械が必死に主導権を取り戻そうとするのに気づくはずだ。「明日のことを考えなきゃ」という考えを差し出してくる。それを見ていればいい。追い払う必要も、つい考えてしまう必要もない。
回復とはバッテリーを満たすことではない。まず電力がどこから漏れているか気づくことだ。井戸が戻るには、汲む手が休まねばならない。そうすれば雨が落ちてくる。いきなり良くなる必要はない。あなたが本当にオフラインになったことがないと、ただ気づけばいい。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。