なぜ関係の中で、私はいつも片足を扉の外に出しているのか
DustEcho編集部

あなたは悪くない関係を育てている。相手もあなたに良くしてくれる。それなのに心の片隅に、いつでも退く考えを残している。別れたいわけではない。つい算段してしまうのだ。もしいつかダメになったら、どこに住み、お金はどう分け、日々をどう過ごすか。退路を先に考えておかないと、安心していられないようなのだ。
部屋に入ったのに、手をずっと扉の取っ手に置いたままの人に似ている。体は中にいても、足はいつでも踏み出せる。
これは今が悪いからではなく、安心しきることで自分が脆くなるのを恐れるから、よくある。関係がいつの間にか消えるのを見てきた。置いていかれたこともある。あるいは小さいころから、彼はずっといるを本当だと信じられなかった。そうしてあなたは一つを覚えた。全てを信じるな、全てを渡すな、扉は少し開けておけ、そうすれば去る時、あまりにひどくは転ばないと。
しかしその隙間には代償がある。あなたは居ても、心はぶら下がり、相手にはそれが分かる。相手が一歩寄れば、あなたは半歩退く。彼が落ち着こうとすれば、あなたは探し始める欠点を。よくしたくないわけではない。この関係が本当に地に着くのを恐れるのだ。地に着くとは、自分が気にかけていると認めることだ。そして気にかけた者は知っている。気にかけること自体がリスクだと。
だからあなたは親密さが欲しいと同時に、それを少しずつ押し遠ざける。一番ねじれるのは、関係が不安定だとあなたが関係を責める点だ。しかしその不安定の半分は、あなた自身が開けた扉の隙間から吹き込む風だ。
取っ手から手を離してみてはどうか。全部を急に渡せと自分に迫るのではない。まず手を取っ手から離すこの小さな一歩を許すだけだ。今この瞬間、退路を算段せず、ただここに居よう。退路が本当に要る時、その時考えれば遅くない。いつでも去る構えをやめれば、安心して居ることなど、案外危なくないと気づくはずだ。
相手が本当にあなたを気にかけていれば、ゆっくり取っ手を下ろすあなたの姿を支えられる。そしてあなたも、いくつかの扉は閉めていいのだと、少しずつ信じられるようになる。
用心深くあり続けることはもっと賢明ではないかと言う人もいる。賢明と常に逃げる構えは別物だ。賢明とは相手も自分も見極め、引き受ける準備をすることだ。常に逃げる構えは、誰もがいつか立ち去るように見え、だから自分を先に引き離すことだ。前者はより近づけ、後者はずっと独りにする。
実験してみてほしい。次に相手と悪くない時間を過ごす時、心の中でリスクのリストを立てるのを急がないでほしい。その一片の時、手を取っ手から離し、天が落ちるか見てみるのだ。何度か試せば、取っ手はとっくに冷たくなっていたことに気づく。ずっと握りしめていたのは、あなた自身なのだ。
本当に一度扉を閉めてみれば、部屋は潰れず、外も消えないと気づく。あなたはただ、ようやく一つの場所でしっかり立ったのだ。そしていつでも逃げ出したいと思ったその考えは、あなたが何度も留まることを選ぶうちに、ゆっくり静かになる。それは負かされたのではない。あなたがそれに餌をやめるだけだ。関係で一番難しいのは近づくことではない。近づいた後も動かずにいようとする勇気だ。あなたが練っているのは扉を鍵で閉めることではなく、開けたままにして、一陣の風でふっと吹き飛ばされないと信じることだ。その一歩を踏み出せば、その後の親密さは本当に地に着く。一度に全部できなくていい。今日は一秒離し、明日は一分離すれば足りる。取っ手はずっと冷たかった。温めるにも時間が要る。その辛抱を自分に与えれば、関係も付いていける。
扉はいつも開けっ放しでも、いつも半開きでもいい。いつ、どれほど開けるかは、あなたの権利だ。ただ、開けたこともないのに、開けると必ず危ないと決めないでほしい。一度試せば、答えはあなた自身にある。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。