なぜ私はいつも、自然にみんなを集めるあの人になっているのか
DustEcho編集部

同窓会が終わっても、あなたはまだグループチャットで「もう家に着いた?」「明日暇な人いる?また会わない?」と送っている。あなたが暇だからではない。みんながばらばらにならないように、というあの力が働いて、気づかないうちにあなたがみんなをもう一度集めるあの人になっているのだ。
こんなあなたはよく、外向と感覚と感情と判断を重んじるタイプだと言われる。いわゆるイーエスエフジェイ型とも呼ばれる。他人はあなたのことを「世話焼き」「べったりしすぎ」と言う。でも本当は、あなたはただ生まれつき「わたしたち」を「わたし」より重く見ていただけなのだ。
あなたは人と人の絆をつなぐ存在だ
イーエスエフジェイ型の感情の軸は外側を向いていて、しかも具体的な場所に落ち着く。あなたは誰と誰がけんかしたか、誰が最近別れたか、誰の誕生日が近いかを覚えている。あなたがわざと仲直りの世話を焼いているのではない。関係が冷めようとするのも、輪がばらばらになるのも、本当に耐えられないのだ。あなたは一度一度の用意で、みんなを温かく一つにまとめる。
この力はとても大切だ。多くの集まりが今も続いているのは、あなたという「見えない裏方」が黙って支えているからだ。あなたは「あなたがいるから、みんなまだ家族のようだ」と言われるような人なのだ。あなたの存在は名前のつかない静かな仕事をしていて、それを支えにしている人は多い。計画がうまくまとまり、誰も取り残されない時、たいていはあなたが三歩先まで考えていたからだ。
あなたは他人のささやかなことをたくさん覚えている
誰のコーヒーは砂糖を少なめにするか、誰の子どもが高校入試を控えているか、誰かが前に行きたいと言っていたあの店にまだ行っていないか。こうした欠片を、あなたはみんな分覚えている。あるイーエスエフジェイ型の女性は、三十人以上の友だちの誕生日を携帯に登録しているが、自分の誕生日を覚えている人はいないと言った。彼女は笑って「慣れた」と言ったが、その笑みのなかには少しだけ空っぽなところがあった。
あなたの良さは、静かすぎて他人に見えないことが多い。あなたが悪いことをしたわけではない。「ついでだから」という言葉が、他人が口にすべきだった「ありがとう」をそっと代わりに消してしまうのだ。あなたがそれを自然にするので、その心づかいは何でもないことに見え、周りの人は本当に一人の人間が本当の氣遣いをして周りの暮らしの隅を滑らかに保っていることに気づかなくなる。
人と離れられないのではなく、関係が冷めるのが怖いのだ
あなたはよく「他人の目を気にしすぎ」と言われる。でもあなたが本当に怖いのは、評価されることではなく、関係が切れることだ。あなたは自分の安心を「必要とされること」にしっかり結びつけている。誰もあなたに用意を頼まなくなると、ひそかに慌てる。私はもう大切ではないのではないか、と。
これでは疲れやすい。あなたはみんなの安らぎをすべて自分の肩に抱え込むのに、振り返って「疲れていない?」と聞いてくれる人はめったにいない。あなたは空気のようにそこにいて、みんなが呼吸するのに慣れてしまい、それも誰かが補給しなければならないものだと忘れてしまうのだ。あなたを頼りにできるそのしっかりさが、かえってあなたを見えなくし、一人でずっと支えているほど、誰もあなたが揺れていることに気づけなくなる。
たまには全部を支えるあの人でなくなってみる
誰のささやかなことも、あなたがみんな分覚えている
部署の食事会では、あなたは一週間も前から誰が辛い物を食べないか、誰が香菜を嫌うか、誰の誕生日に隠しケーキを仕込むかを調べ尽くし、誰かが以前ふと行きたいと言った店まで前もって予約していた。その日、誰もあなたに改めて礼を言わなかったが、食卓は滞りなく進み、誰も気まずくなかった。終わりにあなたは皿を下げ、残り物を分け、酔った人を一人ずつ落ち着かせた。家に着いてから気づいた。この夜、あなたは忙しくて温かい物を一口もろくに食べていなかったのだ。うつむいてご飯をかき込みながら、あなたは思った。これらのことを誰も覚えていなければ、みんなはきっと忘れるだろう。私がこっそりどれだけ心を砕いたかを。見えないその配慮も、実はあなたの力の一部であり、あなた自身に見てもらってよい。他人に褒められるのを待つ必要はない。忙しくした甲斐がなかったと思うのは、他人が言ってくれる時だけではない。
あなたの細かい良さは、よく誰にも気づかれない。でもそれはあなたの残念なところではなく、「ついでだから」があなたの代わりに、他人が言うべきだった感謝を遮ったのだ。あなたがその感謝を強要しているわけではない。ただ時折、少しだけ空っぽなのだ。力を誰にも見えない風の中に撒き散らしたようだ。でもあなたも覚えておくべきだ。他人を気にかける以外に、あなたのことも誰かが気にかけてよいのだ。次は一つの小さな事を他人に任せてみてはどうか。今度は私も休ませて。今度はあなたが覚えていて。関係のなかで、介抱されるあなたも、しっかり受け止めてもらってよい。あなたはずっと他人の良さを覚えてきた。自分へ書く一行も残してよい。
あなたが手を放さないと、他人は動かない
家で祝い事があると、招待状から席札までをあなた一人で引き受ける。従妹が手を貸そうとすると、あなたはちらりと見て「あなたがやるより私がやる方が良い」と言った。彼女は気まずそうに下がった。あなたは夜中の三時まで働き、祝いの菓子さえ人数分、一斤も漏らさず分けた。あとで少し空っぽになった。明らかに手を貸そうとする人がいたのに、どうして最後は私一人で背負うことになったのだろう。あなたは彼女を信じていなかったわけではない。彼女の仕事が自分の基準に合わず、結局やり直すことになるのが怖くて、自分で早く済ませたのだ。でもあなたが省いたその時間は、ますます重い肩と、ますます遠のいた彼女と引き替えだった。
あなたは「みんな私が必要だ」を安心の種にしたが、同時に他人を遠ざけた。あなたがみんな分かぶと取るので、他人は自分でやることを覚えられず、長くなるとあなたのよく働くことを負担にさえ感じる。どうでもいいような一つの事を、本当に他人に任せてみよう。一度失敗してもかまわない。誰かに関係を分かち合わせて、関係があなた一人の独り舞台にならないように。そこには疲れるあなたを収める余地もできる。手を少し緩めれば、関係に光の差し込む隙間ができる。あなたがずっと支えていると、周りはずっと「あなたは支えられなくてよい」と思い、支えれば支えるほど、ますます一人になる。
グループが静かになると、あなたはじっとしていられない
グループチャットが半日静かだと、あなたは思わずスタンプを送り、記事を回し、「いる?」と聞く。暇だからではない。みんながばらばらにならないように、というあの力が湧き上がると、じっとしていられないのだ。ある時あなたは送るのをこらえた。その夜は十数回も携帯を開け、誰かを見逃すまいと、それ以上に、自分が取り残され、挨拶すら待てない者になるのが怖かった。あなたが賑わいを焦って求めるほど、ずっとそこにいてくれた静かな人たちを見逃しやすくなる。グループが賑やかかどうかは、あなたが気にかけられる値うちの物差しではなかった。
あなたは安心を「必要とされること」に強く結びつけすぎている。誰もあなたに用意を頼まなくなると、ひそかに慌てる。私はもう大切ではないのではないか、と。でも関係はあなた一人の動きで支えられているわけではない。時折グループを静かにさせ、輪に自分で息をさせてみよう。そうすれば、本当に近い人は、あなたが一言少なめに言っただけで遠のいたりしないとわかる。あなたは覚えられてよい。それは彼のためにどれだけしたかではなく、あなたがあなただからだ。覚えられることは、あなたが他人のためにした事だけにぶら下がるべきではない。まず自分を大切にすれば、他人もあなたを大切にしてよいのだ。
もしあなたがこんな他者を支える性格の持ち主なら、いちばん学ぶべき授業は、いちばん張り切ってみんなをまとめたい時、たまには一歩下がってみることだ。関係を自分で育たせ、自分も少し休む。
あなたはみんなを温かく一つにするあの人でいてよい。でも人混みの外で、自分だけの静けさを少し残してみてもよい。あなたが他人を覚え、他人にもあなたを覚えてもらおう。いつもそこにいる必要はない。時折顔を出さなくても世界は壊れない。あなたは息をつける。あなたは覚えられてよい。それはどれだけ多くの事を果たしたかではなく、あなたという人が、真剣に扱われる値うちがあるからだ。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。