なぜ次の瞬間の考えは、いまの計画よりいつも先を行くのか
DustEcho編集部

あなたは明日提出の報告書を書いているはずなのに、ブラウザには十以上のタブが開いている。始めたいポッドキャスト、ふらりと歩きたい街、さっき浮かんだ起業の思いつき。あなたが集中していないわけではない。ただ、次の一秒の考えが、この一秒の計画よりいつも先に走っているだけだ。
このような人はよくイーエヌエフピーに分類される。外向、直感、感情、知覚だ。人からは「三日坊主」「考えすぎ」と言われるが、本当はあなたがただ生まれつき「可能性」に引っ張られて歩いているだけなのだ。
あなたのエンジンは「おもしろい」
イーエヌエフピーのエネルギーは新しさとつながりから来る。あることが「おもしろい」と感じるだけで、何夜も徹夜できる。それが繰り返しや雑用になると、しぼんでしまう。あなたがなまけ者なのではない。その情熱の火は、新しい薪があってこそ燃え続けるのだ。
あなたは人を燃やすのも得意だ。友だちが落ち込んでいるときにあなたを頼るのは、助言をくれるからだけではない。あなたは相手がまだ気づいていない自分自身を見つけてくれるからだ。「あなた、あれむいているよ」「このこと、前にやってみたいって言ってたよね」。あなたは多くの人にとっての「可能性の探知機」なのだ。
気がそれないわけではない、ただ世界に引っ張られやすいだけ
あなたはよく「百のことを始めて、三つしか終わらない」と言われる。そのとおりだ。あなたは確かに、あれを半分やっているときにそれに惹かれて流されてしまう。だが「長続きしない」と自分にレッテルを貼るのは早すぎる。あなたの問題は続けられないことではなく、情熱に順番をつけることをまだ覚えていないことだ。
あなたの苦しみもそこにある。やりたいことが多すぎて、本当に形になるものが少なすぎる。年末に振り返ると、すべてが「やりそこねた」悔しさだ。形にならなかった好きなことたちが心に積もると、失敗したよりも空っぽな気持ちになる。
あなたの頭の中には、世界が一つ住んでいる
他の人が見えるのはあなたのおしゃべりのにぎわいだが、見えないのは心の中のびっしりとした「もしかしたら」の地図だ。あるイーエヌエフピーが言っていた。彼の携帯のメモには四十以上のやりたい企画が眠っていると。ポッドキャストからキャンプ道具の感想文まで、一つとして実を結んでいない。彼は言った。「思うだけで、半月はわくわくできるんだ」と。これは才能であると同時に罠でもある。あなたには他の人には見えない景色が見える。だが「見る」ことに閉じ込められ、そこへ歩いて行くのを忘れやすい。
三日坊主にも、行き場はある
自分のせわしなさを嫌うのは早すぎる。新しいものの最初の挑戦者は、たいていあなたのような人だ。あなたがともした火がすべてしっかりした柱になるわけではないが、世界にはまずマッチを擦る人が必要だ。ただ、時には、本当に気にかかっている一つか二つを選んで、最後まで付き合ってほしい。気づくだろう。やり終えた満足が、「思いついた」興奮よりも、ずっと重く、ずっと長く続くことを。
なぜあなたはいつも関係の中で自分を燃やすのか
あなたは共感しすぎるからだ。他の人のことを自分のことのようにしすぎるからだ。友だちにあげるエネルギーが、自分を干からびるほど多いことがある。それをあなたは情熱だと思っているが、時には「必要とされないのが怖い」だけのこともある。あるイーエヌエフピーが話してくれた。彼女は三人の友だちの別れと引っ越しと転職を同時に手伝っていたのに、自分の卒業論文は最後の夜まで伸ばしてしまった。「あの人たちのほうが私を必要としている」と彼女は言った。だが一番休まねばならない自分自身は、すべての人より後ろに回されていた。
その火花も、一つの箱にしまおう
あなたがしまったものは、やり終えたものより多い
あなたの携帯のお気に入りには、百を超える「後で学ぶ」動画が押し込めてある。ハンドドリップのコーヒーから路上の写真まで、片付けのコツからマイナーな楽器まで。どれも冒頭を開いたことがあるが、最後まで見たものは一つもない。あなたが欲張りなのではない。一度開くたびに窓を押し開けるようで、外の風が次の窓へと人を吹き飛ばす。だから窓の内側のことはまだ始まらぬうちに、人はもう別の扉の前に立っている。後でめくり返すと、よく呆ける。いつの日に保存したか覚えていない。覚えているのはその時の胸の高鳴りだけで、まるで習得したかのように本当だった。この「まずちらりと見る」本能のおかげで、あなたは誰よりも早く世界の広さに気づく。だがお気に入りが長くなるほど、なぜ開いたかを思い出しにくくなる。見終わらなかったものは無駄ではない。ただまだ形になる番が来ていないだけだ。やり残したことを責める必要はない。ただ、本当に気にかかる一つか二つは、他の窓を閉じて、もう少し見つめてやり、それを「やりたい」からゆっくり「できる」へと歩ませる価値があると覚えていればいい。
いくつもの扉が同時に開いている
あるイーエヌエフピーが言っていた。ある月に彼はギターのレッスンと朝のランニングの計画と読書会に同時に申し込んだ。一週目はどれもやる気満々だったが、三週目には読書会のグループのメッセージが時折届くだけになった。彼は苦笑して言った。できないわけではない、三つとも欲しいということは、どれも本当には始めていないということだと。月末にはギターの弦さえ封も開けず、ランニングの靴は入り口で静かにほこりをかぶっていた。あなたは「全部に興味がある」を「全部できる」と取り違えているかもしれない。興味は順番に入場しないが、情熱は一つずつ育てねばならない。まず一番気にかかる一つを選び、それを「やりたい」から「やる」へ動かせば、他の考えはより静かにあなたを待ってくれる。一つやり終えた安心が、次の百の考えを受け止めてくれる。それは十の途中で放り出した思いよりも、ずっと重くずっと長く続く。
その勢いが去ったあと
友だちがふと思い立って山に行くと、あなたは言わずもがなチケットを取り、計画を書き、グループを作る。山を登り終えても二日は興奮していたが、その勢いが過ぎると、写真すら整理するのを忘れた。あなたが一つの経験にあげるのは、始まりすべての熱だ。だが終わりをしまうわずかな余白を残すことはめったにない。まるで終わったら物語は自分で締まるもので、あなたがもう一度締める手間はいらないかのようだ。三日坊主は欠点ではない。それはただ、あなたが始めは早く、締めは軽いということだ。毎回うれしいことがあったあとに、小さな「締め」の一歩を残してみよう。一文を書く、一枚を残す、一人に返事をする。そのわずかな締めが、熱を風のように吹き流れる記憶ではなく、残る記憶に変えてくれる。あなたがともしたたくさんの火は、いくつかはちゃんと残して、見える形に燃やしてよい。あなた一人の頭の中だけで光るのではなく。もしあなたがこのようなイーエヌエフピーなら、いちばん役立つ練習は、新しい考えに「猶予」を与えることだ。まず書き留め、三日たっても気にかかるなら、そこで動く。これはあなたを消すものではない。むしろ、本当に気にかかることが形になるチャンスをくれる。あなたは「まとも」になるために光をためる必要はない。ただ、光を、本当にやり終えたい少数のことに少し多く当てればよい。そんな世界は、十の途中で放り出したものよりずっとおもしろい。あなたの人生は、あなた自身の手で、いくつかをやり終えられる値打ちがある。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。