なぜ感情労働はこんなに疲れるのか
DustEcho編集部

仕事から帰る電車の中、あなたは疲れてものを言う気になれない。重い荷物を運んだわけでも、客回りで走り回ったわけでもない。ただ一日中、気持ちを「管理」していただけだ。因難な客相手に笑って説明し、文句を言う上司の怒りを飲み込み、同僚の愚痴を巧みに受け流して場を保った。家に着いても、家族にもう一言加える力が残っていない。この疲れには名前がついていないと思っている人は多い。でも名前はある。それを「感情労働」と呼ぶ。社会学では「感情労働」、中国語圏では「情绪労働」、読み方は「じょじょうろうどう」として知られる働き方だ。
感情労働とは、いったい何なのか?
この言葉を作ったのは社会学者のホッチチャイルドだ。仕事をするために、決められた感情を表に出さなければならないとき、たとえそれが本当の気持ちに反していても、あなたは感情労働をしている。客室乗務員は温かく、看護師は冷静に、窓口の担当者は丁寧に、営業の人は明るくあることを求められる。使うのは筋力だけではない。本当の感情を押し下げて、演じるべき感情を表に出す、その力そのものだ。これはあなたが考えすぎなのではない。確かな消耗だ。
やり方には二つの形がある。表の表情だけ作り、心の底の気持ちには触れないままにするやり方と、状況に合う気持ちを本当に自分のなかで起こそうとして行うやり方だ。どちらも代償を払うが、前者のほうが疲れる。一日中、二つの自分を引き離して保たなければならないからだ。
しかも接客業だけの話ではない。顔を作って働く役割なら、だれでもやっている。教師も、医者も、受付の人も、グループの場をいつも明るく受け持つ友人もそうだ。役割が一定の調子を求めるなら、あなたはその調子を、気が乗らなくても供給する。
なぜ体を使う仕事よりも疲れるのか?
体を使う仕事は筋肉を疲れさせるが、一夜眠れば元に戻る。感情労働が疲らせるのは、もっと薄い層、つまり「表面演技」のすき間だ。あなたは笑っているが、心の中ではため息をついている。うなずいているが、体は固まっている。脳はいつも監視している。いまの表情は合っているか、声の調子は適切か。この自分を見る働きだけでエネルギーを食う。一日の終わりに疲れるのは、何をしたかではない。一日中「演じていた」ことだ。外と内が合わないその一道のすき間が、一日中エネルギーを漏らし続ける。
休むことは体を戻すが、そのすき間を閉じることにはならない。十分眠っても、すき間が一日中開いていたなら、朝起きてもまだ空っぽなことがある。自分を抑えるほど、ほかのことに使える力が残らなくなる。だから書類の上では楽に見えた一日が、あなたをへとへとにするのだ。
家に帰って急に黙り込む理由
感情労働は職場だけのものだと思っている人が多い。違う。親しい関係や家族のなかでも起きる。いつも場の空気を整えている人、だれかの気持ちを黙って受け止めている人、けんかのとき真っ先に笑って収めている人。その人が感情労働をしている。昼間は見知らぬ人に感情を使い、夜になって残ったわずかな力は、部屋の戸を閉めるだけで精いっぱいだ。家族を愛していないのではない。今日の「気持ちの予算」がすでに尽きているのだ。
つらいのは、いちばん近い人ほどそれに気づかないことだ。あなたは落ち着いたあなたを彼らに期待させるように仕込んでしまった。自由で、大きな声で、乱れた自分には交代の時間がない。食卓にいても、まだ勤務中なのだ。
抱えすぎていると思われるサイン
次のようなものが当てはまるなら、あなたは分より多くを受けているかもしれない。
- 退勤後は人と関わりたくない。メッセージの返信さえ疲れる。
- 人前では落ち着いているが、戸を閉めると崩れやすい。
- 本当に嬉しいのか、嬉しいふりをしているのか、区別がつかなくなる。
- 一日の大半を、ほかの人の機嫌を合わせることに費やしている。
- 週末一日眠り続けても、あの空っぽさが埋まらない。
一人で抱え続けなくてもいい理由
働き方そのものは問題ではない。問題なのは、あなた一人だけが毎日演じていて、だれもあなたを受け止めてくれない状態が続くことだ。ためしに次のようなことをしてみる。
- 仕事では、休憩時間に役割を完全に降りるなど、「演じない」すき間を少し作る。
- 関係のなかでは、「今日は本当に疲れている」と声に出し、相手にも一度あなたを受け止めさせる。
- 休みと安心の違いに気づく。休みは体を満たすが、安心はすき間を閉じる。どちらも必要で、安心はたいてい、その努力を正直に話すことから生まれる。
あなたはいつも感情を安定させていなければならないわけではない。たまには不安定でいいと許されるだけでいい。目指すのは、気遣いをやめることではない。一人で重みを支え続けるのをやめることだ。
感情労働は、見てもらう価値がある。あなたが感じる「言葉にできない疲れ」は、あなたが繊細すぎるからではない。それは、だれも記録に残してくれない仕事を、あなたがずっと続けていた証だ。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。