なぜ自分で自分を責めることをやめられないのか
DustEcho編集部

提案が通らなかったとき、あなたの最初の反応は「どこを直せばいいか」ではなく「やはり私には無理だ」でした。人が何気なく言った一言に、あなたは頭の中で自分を頭のてっぺんからつま先まで叱りとばします。他人には優しいのに、自分には瞬きもせず採点する考官のようで、少しでも間違えれば赤いペンで丸をつけ、さらに反省文まで書かせようとします。
これは振り返りではありません。振り返りは「何が起きたか、何を学べるか」と問います。自分を鞭打つことは、いきなり「問題は私だ」へ飛びます。この違いは思っている以上に大切です。一方は前へ進めてくれますが、もう一方はその場にあなたを留めたままにするからです。
失敗する前に、自分を裁いてしまうクセ
直せない人は少なくありません。直すチャンスが来る前に、自分を負けと決めてしまう人が多いのです。声が先に鳴ります。「また失敗した」「あなたには能力がない」「周りはとっくに気づいていた」。これは思考というより反射に近く、あまりに速く動きます。その声が頭の中の一番いい場所を占めているので、あなたの力は問題を解くことではなく、自分を攻撃することに使われてしまいます。
長くなると、もっと悪いことが起きます。まだ何も始めていないのに、失敗を予習し始めるのです。「どうせ叱られる」と思うからです。人に叱られるのを待つくらいなら、自分から先に叱ったほうがましだと考えます。これを向上心だと自分に言い聞かせますが、本当は自分の足元を掘って穴を作っているだけです。それを土台だと思い込んでいるのです。
なぜ人にするより、自分にずっと厳しくなってしまうのか?
友人が何かを失敗したと想像してください。あなたはおそらく「大丈夫、次があるよ」と言うでしょう。しかし同じ失敗が自分に降りかかると、三年前の古い記録まで引っ張り出して追加の罪にします。何が変わったのでしょうか。あなたは他人には「余地」を、自分には「基準」しか与えていません。
あなたは自分の価値を「間違えてはいけない」という規則に縛りつけています。だからどんな失敗も、失敗そのものではなく「私という人間がダメだ」という証拠になってしまいます。自分に厳しいことは、本当は厳格さではありません。それは、欠点があってもそのまま受け入れられるとあなたが信じる勇気がないだけなのです。あなたはもっと規律があるのではなく、ただ自分を許すことを恐れているだけなのです。
なぜ少しうまくいかないだけで、すぐに「自分はダメだ」と決めてしまうのか?
なぜ少しうまくいかないだけで、すぐに「自分はダメだ」と決めてしまうのでしょうか。その声が物語を書き換えてしまうからです。一つの失敗が「私は根底から壊れている」を意味すると、先に結論を決めてしまうのです。状況を待ってはくれません。横道にそれた一つをつかみ、その上に人格全体を乗せてしまいます。
不思議なのは、それがどれほど自動的に感じられるかです。出来事が着地する前に、結論がもう待っていたかのように。それが反射の仕事です。良い知らせは、反射は気づかれるものだという点です。一度それに気づけば、権威の一部を失います。一晩で消せなくても、その判定を「事実」ではなく「クセ」として扱い始めることはできます。
なぜそこそこできても、「足りない」としか感じられないのか?
なぜそこそこできても、「足りない」としか感じられないのでしょうか。内なる批判者は「足りない」場面しか流さないからです。うまくいった部分を二度と流しません。あなたがしっかりした成果を出しても、すべての完了項目を飛ばして、一つの傷だけを拡大し、「やはり足りない」と告げます。あなたが本当に不出来なのではありません。あなたが持っている採点ペンは、減点欄にしか降りてこないのです。
しばらくすると、あなたは「まあまあだった」と言うことさえ恐れるようになります。認めてしまうと気が緩むと恐れるからです。そうしてあなたは、合格点に届かない自己採点の中に永遠に生きることになります。その点数は正確ではありませんでした。批判者が埋めることを望んだ欄が、そこ一つだけだっただけなのです。
あの声の音を小さくする、いくつかの方法
今日その声を消せと言うつもりはありません。まずは、言われたことをすべてそのまま受け取らないことから始めましょう。
・「声に名前をつける」−その声が響いたとき、心の中で「これは私の厳しいクセの声で、事実ではない」と言います。それを本当の自分から切り離し、あなたの代わりにしゃべらせないでください。
・「友人にする言葉を、自分にも一度言う」−同じ状況、同じ失敗に、友人をどう慰めるでしょうか。その言葉をまず自分に使えば、あなたが誰にでも優しかったのに自分には冷たかったことに気づきます。
・「事が失敗した」と「私がダメだ」を分ける」−うまくいかなかったのはこの一件であって、あなた全体ではありません。判定を自分の人格から出来事へ動かせば、重さは半分になります。
・「今日まあまあだった三つのことを書き留める」−ほんの小さなことでも構いません。あなたが減点ばかりの存在ではなく、うまくやり遂げたり、支えたり、優しかったりする瞬間もあると、脳に覚えさせてください。
自分に優しくすることは、甘やかすことではない
自分への批判があなたに吹き込む最大の嘘は、「厳しくなければ崩れてしまう」というものです。それは逆です。自分に厳しすぎると、支えが必要なまさにその瞬間にあなたが崩れやすくなります。批判者がとっくにあなたの自信を使い果たしているからです。自分を少し温かく扱うことは、目標を下げることではありません。立ち上がる力を残しておくことです。
その声はいても構いません。あなたが決められるのは、今日まずどちらの言葉を聞くかだけです。「あなたは精一杯やった」という言葉か、「まだ遠く及ばない」という言葉か。前者を選んでよいのです。そして、自分にせめて一度くらい、少しの優しさをもって扱われてもよいのです。
比べるクセが内なる批判者を一番育てているなら、人と自分を比べる繰り返しから抜け出す道を考えるところから始まります。ほんの少しうまくいったことでも、すぐに自分で小さく縮めてしまうなら、達成を認める練習から始まります。あなたがその声を聞くことは、壊れている証拠ではありません。あなたはただ人間で、その音量を小さくすることを、これから学べるのです。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。