なぜ人が近づくと逃げたくなるのか
DustEcho編集部

かつてある読者がこんなことを話してくれた。関係が深まりそうになると、理由もなく身を引きたくなるのだという。相手が少しだけ気遣いの言葉をかけると、彼女はまず慌て、それからあら探めをし、冷たくなり、遠ざかる口実を探す。そして本当に疎遠になると、後悔する。
「私、そもそも恋愛ができないんじゃないかしら」
でも私は「できない」ことだとは思わない。彼女の体が、ある瞬間、代わりに一時停止のボタンを押したのだと思う。
あなたもこの感覚を知っているかもしれない
曖昧な関係が甘くなっているとき、相手が「週末、会いたい」と言えば、口ではOKするけれど、胸の奥で何かが引っかかる。あるいは友人が突然、真剣に「あなたのことは本当に大事だよ」と言ってきて、最初に湧くのは温かさではなく、少し逃げ出したい衝動だったりする。
奇妙なのは、好きではないわけではないという点だ。むしろ、大事に思うからこそ、近づくことが危険になる。
この矛盾はとても混乱する。表面では相手を遠ざけているのに、内側では「私はいったい何を恐れているんだろう」と自分に問いかけている。
体は頭より先に半歩退る
あとで気づいたのだが、この「近づかれると逃げる」は、多くの場合、目の前の人の反応ではなく、「近づかれる」という出来事そのものへの反応なのだ。
もし幼い頃の大切な関係のなかで、近さがいつもコントロールを失うこととセットだったなら——感情に飲み込まれる、言うことを強いられる、頼ったとたんに突き放される——体はこっそりひとつのことを学ぶ。親密さとは、境界を失うこと、つまり危険だと。
大人になっても、相手が優しい人であっても、体は「これは安全な近さだ」と読めず、「また来た、早く逃げなきゃ」としか読めない。
だからその逃げたい衝動は、しばしば条件反射であって、あなたが心変わりしたわけではない。それは頭より早い。頭がまだ「この人はいい人だ」と判断しているあいだに、体はすでに半歩退っている。
それがわかれば、せめて「私は孤独になる運命なんだ」という決めつけを自分に押し付けなくて済む。
だからこそ、多くの人があとで後悔する。体の警報が解けて理性が戻ると、あなたは自分が本当は近づきたかった人を突き放してしまったことに気づく。でも次にまた、同じループが回る。
なぜまさにその瞬間なのか
面白いのは、この回避が最初から現れるわけではないという点だ。
出会ったばかりの頃は、距離がまだ遠くて安全だ。相手はまだあなたを知らないし、あなたも多くをさらけ出す必要がない。楽しく話せるし、甚至「今回は違う」とさえ感じる。
問題が起きるのはその境目だ。相手がより深い関心を表し始め、あなたが「彼は本当に私の生活に入ってきたいんだ」と感じたとき、その警報が突然鳴る。
相手が何か悪いことをしたからではない。むしろ、すべてがよすぎるからだ。「よい」こと自体が引き金になる。
この瞬間を、得体のない息苦しさと表現する人もいる。誰かに口と鼻を塞がれたようで、何も起きていないのに息ができないような感覚だ。
あなたにとって「近さ」が意味するもの
ほとんどの人にとって、近さとは、見られ、受け入れられ、好かれることだ。憧れるものだ。
しかし他の人にとっては、近さの意味はまったく違う。それはこういうことかもしれない。
- 見られること=十分でないと見つけられること
- 受け入れられること=いつでも取り上げられること
- 頼られること=他人の感情を背負うこと
これらの意味はどこからともなく湧いたわけではない。それは人が幼い頃に実際に経験したことから来ている。よくできた時だけ注目されたのかもしれない。親の機嫌が天気のように変わったのかもしれない。誰かを本当に信じて、その信頼で傷ついたのかもしれない。
体はこれらのことを忘れない。それを「保護」という名の自動実行プログラムとして保存する。
だから逃げたいとき、あなたの体は実はこう言っている。私があなたを守っているのよ、と。
ただこのプログラムは少し古すぎる。もう目の前の人には合っていない。
「直さなきゃ」と急がなくていい
それがわかれば、せめて「私は孤独になる運命なんだ」という決めつけを自分に押し付けなくて済む。
このパターンを持つ多くの人は、自己攻撃に陥る。自分に何か問題がある、すべてを台無しにした、愛される価値がない、と感じる。でもこれらの判断自体が、その古いプログラムの一部だ。それはあなたにこう言っている。ほら、やっぱりあなたはダメだろう、と。
信じなくていい。
次にその逃げたい感覚が湧いたとき、すぐ行動に出なくていいかもしれない——相手をすぐ冷たくするでもなく、自分に「勇気を出せ」と無理強いするでもなく。ただそっと名前をつけてみる。あ、これは私の古い警報で、目の前の人が私を傷つけているわけではないんだ、と。
それに少し時間を、自分にも少し余地を。本当に距離を取りたければ、あとからでも遅くない。たいていの場合、必要なのは完全に背を向けることではなく、ただ「近づく」より半拍ゆっくりしたリズムなのだから。
そして、あなたのそばにいる人がその半拍を待ってくれるなら、その人こそ、もう少しだけ近づいてみる価値があるのかもしれない。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。