なぜ相手が近づくと、私は突っつきたくなるのか
DustEcho編集部

相手が近づくほど、私はその人のあらを探す。一秒前までは良かったのに、彼が私の感情を一文で受け止めそこなうと、冷笑か、突き放すような返事がもう口をついている。彼が固まるのを見て、少し快感を覚え、少し空っぽになる。勝ったようで、人を遠ざけたようでもある。
近いほど、突っつきたくなる
私は関係の中に妙な法則があるのに気づいた。近いほど、小さなあらを探す。返信が半拍遅い、言葉遣いが十分に柔らかくない、私を見る眼が一秒長い。離れていれば何でもない小さなことが、近づくと全部棘になる。関係に警報器を仕掛けたようで、人が寄ると鳴り、鳴れば突っつかずにはいられない。
一番つらいのは相手だ。彼は近づいているのに、何の理由もなく刺される。自分が何を間違えたかも分からない。私にも分からない。近づくとただ慌て、慌てると突っつくのだ。
突っつくは、もう一つの逃げ
これは「近づくと身を引く」とは違う。身を引くは退き、冷め、一歩下がること。突っつくは逆に出ていき、相手を遠ざける。一つは内へ、一つは外へ。方向は逆だが、目的は同じだ。相手に一歩下がってもらい、私が息をつくためだ。
突っつくはより攻撃的で、関係への代償も大きい。私が退けば、彼はせいぜい「今日は少し遠いな」と思うだけ。突っつけば、彼が受け取るのは「うるさいな」だ。同じく近さへの恐れでも、突っつくは本当に彼を寒くする。
近すぎると自分がぼやけるのが怖い
掘り下げると、近づくほど本当の自分を見せるのが怖いのだ。その本当の私が、十分に良いか分からない。あまり近づいて、彼に清く見られ、がっかりされ、去られる。それは距離を置くよりずっと痛い。だから突っつくは先制攻撃だ。私が先にあなたを疎んむれば、あなたが私を疎んむ機会はない。
本当は、突っつくは支配を握ることだ。身を引くは受動的に残されるのを待つ。突っつくは能動的に追い払う。せめて「終わり」は私が決めたもので、置き去りではない。
突いて、また後悔
每回突くと、彼が傷つくのを見て後悔する。埋めたいが、面目が保てず黙り、関係に小さな亀裂が入る。でも次に彼が近づくと、またあの慌てが湧き、突く。止まらない循環だ。突く以外に、「近いと苦しい」をどう言えばいいかを私は習ってこなかったから。
棘を少し収めてみる
小さな実験。近づいた時、「あらを探す」を「不快感を言う」に替える。彼の一言で冷めたなら、冷笑せず、「今の言葉、少し冷たく感じた」と言ってみる。一方は遠ざけ、もう一方は気持ちを開く。開けば二人は一寸近づく。
もう一つの始め。彼が寄った時、まず自分の慌てに名前をつけ、すぐ動かない。突きたい衝動が来たら三秒止まり、「何を恐れているか」と自問する。たいてい恐れているのは「近すぎるとコントロールを失う」であり、彼が何をしたかではない。それが見えれば、棘は少し柔らかくなる。
もしあなたもそうなら、「性格が悪い、付き合いにくい」と急いで自分を言わないで。あなたは悪くない。近さがただ怖いだけだ。棘を一度収め、柔らかい一言を言えば、関係は思ったほど脆くないと分かる。案外、あなたの想像より頑丈だ。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。