なぜ褒められると、居心地が悪くなるのか
DustEcho編集部

同僚が突然「今回は本当にやったな」と言ったり、友達が何気なく「今日はいい感じだね」と言ったりする。他人なら笑って受け取るところだが、あなたの最初の反応はそれを突き返すことだ。「いやいや、運が良かっただけです」。さらに象徴的なのは、相手が本気であればあるほど、あなたが慌てることだ――顔が熱くなり、視線はそらしたくなり、その言葉を相手の口の中に押し戻したくなる。
その反応は、あなたが止めるよりずっと速い。
それは謙遜ではなく、受け取れないだけ
これを「私はただ謙遜なだけ」「褒められても好きじゃない」と捉える人は多い。だが本当はそうではない。
謙遜とは、心の中では悪い気がしないのに、口先だけ丁寧なことだ。受け取れないのは別の話である。褒め言葉は、誰かが突然あなたの手に温かいものを押し付けるようなもので、手がひくつき、まずそれを受け取るのではなく、押し返そうとする。先に浮かぶのは「自分に値するか」でもない――体が先に拒絶し、頭が追いつく前にそれは終わっている。
あなたは今回うまくいったと自分でも分かっている。だが褒め言葉が降ってくると、全身がまず硬直する。胃の弱い人に熱いスープを手渡されたときのように、本能的に身を引く。
ほめ言葉が降りてくるとき、あなたはもう横を向いている
この反応は何もないところから来るわけではない。たいていは、次から次へと関係のなかで、褒められることがだんだん「警戒すべきこと」へと変わっていったからだ――あなたは何度も同じサインを受け取ってきた。「あまりにはしゃぐと、他人を不快にする」と。
だから体はこっそり、「良いと思われること」と「危険、冷水を浴びせられる、面倒を招く」を結びつけた。あとになると、相手が好意でも、見知らぬ人でも、体は「この褒め言葉に罠はない」と見抜けず、「熱い、逃げろ」としか認識しない。
それは頭より速い。頭はまだ「彼は本当にそう思っている」と考えているのに、体はもう横を向き、その言葉を外に遮っている。
これは「自分が嘘つきだ」と思うのと別の話
前に触れた「本当はそんなにできない、ただまだバレていないだけ」という感覚――それは心がまず自分をダメだと決め、褒め言葉が逆の証拠としてぶつかってくる場合だ。
だが褒めを受け取れないことは、たいていそうではない。あなたは心の中では自分が悪くないと分かっているし、本当にうまくいったことも知っている。それなのに、その一瞬、体は受け取らない。胃のもともと弱い人と同じで、山珍海味を渡されてもおかゆを渡されても、彼は逆流する。問題は料理ではなく、胃にある。
だから「私ってどこかおかしいんじゃない?」「根っこが劣等感なんじゃない?」と自分を定義するのは急ぎすぎだ。あなたはただ、善意を受け取るその管が少し錆びているだけだ。錆はあなたのせいではない、環境が残したものだ。
受け取ると「借りができる」「調子に乗る」と恐れている
もう一つ、より隠れた層がある。あなたは「褒めを受け取ること」と「傲慢」を混同している。
心のどこかで、素直に「ありがとう、私もそう思う」と言うことは、自分が褒められ好きだと認め、ちょっと調子に乗ったように見える気がする。だから「得意げ」に見られるくらいなら、押し返してしまう。だが褒め言葉を一つ受け取ったからといって、自分が世界一だと思うわけではない。それはただ、「うん、今回は本当にうまくいった」と認めるだけだ。この二つはずいぶん遠い。
関係のなかでもそうだ。人があなたを褒めるとき、たいていはただ「あなたが見えている」と伝えたいだけだ。それを突き返すと、相手も少し気まずくなる――あなたは「見られること」さえ受け取ろうとしないようだ。やがて、面と向かって良いことを言ってくれる人も減っていく。
まずはその言葉を、もう一秒だけ止めておけばいい
これが分かれば、すぐに「称賛を素直に受け取れる人」になろうと無理する必要はない。それはやりすぎだし、別の種類の演技になりやすい。
小さな変化から始めればいい。次に誰かが褒めてくれたとき、すぐに否定せず、その言葉を空気の中にもう一秒だけ滞らせる。
すぐに信じる必要も、上手な「ありがとう」を返す必要もない。ただ――まずそれを突き返さないことだ。何も言わず、うなずくだけでもいい。あの温かいものをあなたが受け止めたら、手は熱くならず、空も落ちないと気づくはずだ。
急がなくていい。褒め言葉を一つ受け取ったからといって、あなたが嫌いな自分になれるわけではない。それはただ、錆びたその管を、少しずつ、また通すことになるだけだ。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。