なぜ体はここにいるのに、ここにいない気がするのか
DustEcho編集部

家に着いても、どこかが扉の外にいる
仕事から帰って、鍵を鍵穴に差し込んだ瞬間、ふと立ち止まる。
疲れでもないし、腹減りでもない。不思議なのは、ドアの前までどうやって来たかは覚えているのに、その途中が早送りされたみたいで、一瞬も頭に残っていないことだ。ドアが開き、明かりがつき、リビングの真ん中で靴紐をほどいて立っていると、この部屋はどこか他人のものに思える。しゃがんで紐をほどくその体も、他人のものだ。まるで映画のセットに迷い込んだ人が、「家に帰った自分」を必死に演じているよう。
痛くはない。心の中がつらいのに涙が出ない、あの詰まった感じとも違う。それはもっと薄いガラスのようなものだ。向こう側ではちゃんと事が起きていて、あなたも立ち会っているのに、伝わってこない。同僚が冗談を言えば、口元は予定通り上がる。なかなか会えない友だちに「最近どう?」と聞き返す。母からのボイスメッセージに「元気だよ」と返す。全部ちゃんとしている。ただ、あなたがその中にいないだけ。
麻木とは違う、ただ「普通の人」を演じている
これを多くの人は「麻木」の一種だと思うけれど、実は少し違う。麻木は電池が切れて、喜びも悲しみも一緒に底へ落ちること。でも「体はここにいて、心はここにいない」とき、たいてい何でもこなせる。普段より丁寧にさえこなせる。なぜならそれは「暮らす」のではなく「普通を演じる」ことだからだ。どんな反応がふさわしいかはよく分かっているから、正確にそれを出す――まるでショーウィンドーの外に立って、誰か他の人の暖かい黄色い明かりを見ているよう。光の形は覚えている。でも温もりには触れない。
いちばん奇妙なのは、自分がいないのを眺めていること
不思議なのは、その距離そのものではない。あなたが、自分が距離を置いていることを、はっきり「見ている」ことだ。
あなたは上から自分を傍観する。よし、また「まあまあな人」を演じてるな、と。つまらないドキュメンタリーを見るように、自分をひょっと冷やかすことさえある。この「気づき」の層は眠っていない。眠ったのはもう一つの層――本当に経験するはずの、寒ければ寒い、温かければ温かい、胸がちくっとするあなただ。だから感じていないのではない。感覚を「客席」に移しただけだ。あなたはそこに座って、加わりもせず、去りもせず。
そのガラスは、一枚ずつ自分で上げたもの
なぜこうなるのか。劇的な答えはない。たいていは、それほど大きな出来事ではない。小さな「後で考えよう」が何百回も重なっただけだ。
会議で公の場で否定されても、後で考えよう。誰かとぎくしゃくしても、後で考えよう。夜中に何度も浮かぶ不安も、後で考えよう。その「後で」ごとに、その感情をガラスの向こうへそっと押しやる。何度も繰り返すうち、向こう側は「今は感じなくていい」と決めたものをしまう部屋になる。騒ぎもしないし、文句も言わない。ただ、あなたと「今起きていること」の間に、ゆっくり滑り込むだけだ。自分を消すつもりはなかった。ただ「今はやめておこう」を何度も選んだだけで、「今はやめておこう」はたいてい、もう戻ってこない。
ひとつ面白いのは、こういう状態の人は、他人に「今日は楽しかった?」「本当はどうしてるの?」と聞かれるのを、いちばん恐れることだ。答えられないからではない。「その問いにちゃんと触れたら、『自分がここにいるか、よく分からない』と認めなければならない」からだ。それは悲しいより怖い。悲しみなら何か具体的なものを指せるが、「ここにいない」という事実には形がない。掴めない。
壊す必要はない、まずはガラスを少しだけ薄く
でも、そのガラスはあなたが一枚ずつ上げたものだから、永遠の壁でもない。
いきなり壊す必要はない。まずはごく小さなことで、ガラスを少しだけ薄く拭いてみる。水を最初の一口飲むとき、「水を飲まなきゃ」とは考えずに、喉を通るのが冷たいかだけを留意する。外を歩くとき、風が顔に当たる一秒を、すぐに「風が強い」とか「ちょっと寒い」と分類せず、ただ肌にまず覚えさせる。激しい感情にいきなり戻る必要はない。それをすると、かえって縮み上がって逃げてしまう。あなたはただ、「客席」の自分を競技場の端へ半歩寄せ、つま先を芝生に触れさせるだけでいい。
そしてある日、気づく。なんでもない平凡な夕方、あなたは外から見ていなかった。ただ、そこにいた――鍋でぐつぐつ煮物がなり、窓のそばで誰かが洗濯物を畳ぎ、理由もなく「いいな」と思っていた。泣きもしないし、悟りも開かない。ただ、しばらく、戻っていたのだ。戻るのに理由はいらない。自分を直してからでなくていい。あなたはいつだってそこにいた。ただガラスの向こうに、少し長く立ちすぎていただけだ。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。