なぜ少し成功しただけで、自分が嘘つきのように感じるのか
DustEcho編集部

プロジェクトがうまくいった。周りから褒め言葉が巡ってくる。あなたは顔の上では笑っている。その内側には、もっと早く響く別の声がある。彼らは騙されているのだ、本当の私を見抜かれてしまう日が来る、そのときが分かるだろう。
表彰を受けることも、昇進することも、頼りにされることも、本来ならあなたを安心させるはずの出来事が、あなたのもとでは借り物の服のように感じられる。写真を撮る間だけ着ていればいい。いつか返さなければならないものだと。
もしこれが身に覚えのあることなら、あなたは特別に弱気なわけでも、謙遜しているわけでもない。名前のある感覚を言い当てているのだ。詐欺師のような気持ち、そう呼ばれるものである。そして一番つらいのは、疑いそのものではない。うまくいった瞬間に、その疑いがかえって大きくなることだ。
良いことが自分に降ってくるのは、きっと間違いだという感覚
あなたが初めてこう感じた人間ではない。多くの人にとって、肯定された時の最初の反応は私に価値があるではなく、彼らは本当の私を見ていないのだというものだ。この感覚は喜びよりも早くやってくる。体が決まったプログラムを動かしているようだ。成功した、警戒せよ、バレないうちに待て。
やがてそれは考えではなく習慣になる。暴かれたあとの言い訳を用意し始める。まるで勝ち取った成果が借金で、いつか利息が来るかのように。人があなたを前に出せば出すほど、先に私はそこまで良くないと言いたくなる。自分から偽物だと認めておけば、後で正体を暴かれても痛くないような気がするからだ。
だから成功は到着ではなく、よりきつい綱の上に立たされるように感じる。良いことが自分に降ってくるだけで不安になる心について書いた別の記事とも、この反射は根っこが同じだ。何か良いことが起きた瞬間、あなたはそれが奪われるのを覚悟して身構えてしまう。
どうして成功すると、かえって落ち着かなくなるのか?
普通の物語なら、達成こそが安心のもとだ。やってみせて、少しずつ安定する。詐欺師のような感覚を持つ人には、これが逆に回る。見えるようになればなるほど、見抜かれるのが怖くなる。
その理由は仕事そのものではない。あなたの価値の感覚が一本の細い糸にぶら下がっているからだ。失敗するな、その糸だ。人前に立たされた瞬間、その糸は一番きつく張られる。本当に怖いのは目の前の課題ではない。彼らはこれほど私を期待している、次に受け止められなかったらどうしようということだ。
成功はスポットライトを回し、あなたが隠してきたものを照らし出す。私は本当はそこまで安定していないのだ。だから片手で賞を受け取りながら、もう片方の手でそっと逃げ道を敷いている。祝っているのではない。脇を固めているのだ。
嘘つきの自分は、どう育てられるのか
これはたいてい、あなたが物事を下手にやることから始まるわけではない。条件付きの承認が早くから来ることから始まる。子どもの頃、良い点を取れば温かくされ、間違えれば冷たくされた。そうすると、受け入れられることを完璧に演じることと結びつけて学んだ。大人になっても、ほんの少しの肯定が試験用紙に押される印のように感じられ、無条件だとは信じられない。
もう一つのよくある源は環境だ。周りの人が皆、どこか賢く見える。あるいは誰かと比べられ続ける。そうすると、自分をただ運良く紛れ込んだ者だと静かに定義してしまう。実力が明らかにそこにあるのに。あなたは技術がないわけではない。見られることをいつでも検査されると読み違えてしまっただけなのだ。
この読み替えは大事だ。私は偽物だという断定と、目が向けられると身構えるように仕込まれただけだという習慣の違いだからだ。一方は判決だ。もう一方は身につけた癖であり、癖なら緩めることができる。
どうして褒められると、居心地が悪くなるのか?
これには多くの人がつまずく。どうして褒め言葉で居心地が悪くなるのか。あなたの体のなかでは、褒めることは検査を引き起こすからだ。賛美をもう一度証明してみせよではなく、あなたを見ているよと聞こえる。だから誰かが褒めた瞬間、あなたはそれを楽しんでいるのではない。次は失敗できないと計算している。
肯定が真剣であればあるほど、私はそこまで良くないという言葉が飛び出したくなる。謙遜からではない。後で彼らが見誤っていたと気づくのが怖いのだ。あなたが受け止めたのは温かみではなかった。いつか現金化される期待だった。
どうして自分の手柄を、人に問われる前に小さくしてしまうのか?
どうして誰かに問われる前に、自分でしたことを小さくしてしまうのか。先に小さく言っておけば、逃げ道を前もって作ったことになるからだ。私が凄いなんて言っていない、褒めたのはあなたたちだろう、と。小さくすることは自己防衛だ。疑われた時に顔をつぶす分量が少なくて済む。
代償は、自分の良いところをつかめなくなることだ。自信を育てられたはずの瞬間を、小さく丸めて捨ててしまう。小さくする癖がつくほど、私には値しないという声は大きくなる。なぜならその声は、あなたが本気で一度うなずくのを、一度として聞けないままだからだ。
嘘をついているという声と、どう暮らすか
最初の日からその声を消さなくてもいい。まずは丸ごと飲み込まないことから始めればいい。いくつか役立つことがある。
自分にできるという証拠を書き留める。肯定されるたびに、具体的な一つをメモする。何をしたか、どこが難しかったか、どうやって乗り越えたか。疑いが来たら、頭のなかで自分と言い合うより、そのメモを読み返す方が効く。
できないと、まだ慣れていないだけとを分ける。多くの私はここに居場所がないは、私はまだ練習中だということだ。その文を、属性から段階へ動かせば、重みは減る。
褒め言葉を少しだけ置いておく。誰かが褒めた時、反射的なそれは大したことじゃないと言わず、ありがとうだけ言ってみる。優しい言葉を三秒長く置き、本当にどこかへ届くか見てみる。
率直に言える一人を見つける。友人に私はいつも嘘をついている気がする、と打ち明ければ、たいていその人も同じ声を宿していると分かる。あなたは一人ではないし、感覚が主張するほど偽物でもない。
あなたは嘘つきではない、ただ見られることに慣れていないだけ
詐欺師のような感覚の一番残酷な仕掛けは、私は偽物のように感じるを私は本当に偽物だと置き換えてしまうことだ。感じることは事実ではない。あなたが本当にやったことは、起きたのだ。あなたがそれに落ち着かないからといって消えるものではない。
だから急がなくていい。次に肯定された時、自分を急いで暴かないでほしい。その服を、もう少し長く着ていてほしい。あなたは借り物ではない。あなたはもともとそこにいたのだ。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。