面倒でも、私が約束したことは最後までやり通したい
DustEcho編集部

友人が何気なくコーヒーを一本頼んできた。あなたはそれを携帯電話にメモした。買い物を終えてから、わざわざ二つの通りを遠回りしてでも持ち帰った。相手が受け取って「えっ、そこまでする必要なかったのに。適当に言っただけだよ」と言う。あなたはただ笑って、説明はしなかった。でも心の中ではっきりしている。する必要があった、と。一度口に出して約束したことは、あなたのところでは単なる挨拶の言葉ではない。
そんな人を多くの人は「頑固」「細かい」「融通が利かない」と呼ぶ。でもあなたは知っている。それは頑固ではなく、とても古いタイプのものだと。約束を約束として扱うということだ。エムビーティーアイという分類では、このタイプはふつうアイエスティージェイにまとめられる。内向、感覚、思考、判断。この四つの文字を一つずつ見ても、そこに書かれているのはあなたが冷たいということではない。それはあなたが世界と付き合う方法を言っているだけだ。それは謝るべき欠点ではない。静かな物の考え方であって、それに気づけば、自分のふるまいの多くがよく分かるようになる。
あなたの「頼りになる」は、いったい何に支えられているか
あなたの記憶力が人より優れているわけではない。でもあなたは物事を一つの枠に落とし込む習慣を持っている。約束、期限、手順。締め切りの日はカレンダーに赤で印をつけ、他人が何気なく承諾したことも黙って覚えている。それは人より面目を気にしているからではない。言ったのに果たさない、あの宙吊りのような居心地の悪さに、あなたは耐えられないのだ。あなたにとって、約束という言葉が地面に着いて初めて、心が落ち着く。
この着実さを、周りの人は実はとても当てにしている。チームの中でいちばん安心して任せられるのは、たいていあなただ。手柄を奪わず、騒がず、でも渡したものが崩れることはほとんどない。人は「頼りになる」を褒め言葉にするが、あなたはそれを人としての底線にしている。ある時、部署がプロジェクトに追われていた。他人は皆文句を言っていたが、あなただけは黙って一人ひとりの担当をもう一度組み直した。翌日、誰が何をいつ出すべきかが、一目でわかるようになった。頼りになることは、あなたにとって演じることではない。物事がもつべき姿そのものだ。
頑固なのではない、裏切りたくないだけ
あなたを「細かすぎる」と嫌がる人もいる。集まりの時間が三回も変わったのに、あなたは最初の予定通りに動く。グループで「適当に食べればいいよ」と言われても、あなたは真剣にメニューを研究する。あなたは邪魔をするつもりなどない。頭の中であなたは「約束」という二文字を「気まま」より重く見ているのだ。一度「いいよ」と口を開いたら、自分が最後まで責任を持つと決めている。
でもそれは疲れも招く。あなたはよく、他人が言い残した尾を自分で受け止める。なぜなら「どうせ私がやらなければ誰もやらない」からだ。あなたは「私も疲れたよ」とほとんど言わない。言えば手柄をせびっているようだからだ。でも夜、一人で思い返すと、少しだけモヤッとする。どうしていつも私がこの糸の端をまとめるのだろう。それは恨みではない。時々、誰かが一度だけあなたの分もまとめてくれれば、と願うだけだ。この代償は他人には見えない分、じわじわと積もっていく。
人があなたを「冷たすぎる」と言うとき
アイエスティージェイの思考の軸はとても強い。何かあっても、あなたはまず「正しいか、筋が通るか」を考え、それから「気持ちがいいか」を考える。友人が愚痴をこぼすと、あなたが差し出すのはたいてい抱擁ではなく、「じゃあこの件の次の一手はどうするの」という一言だ。相手は時々あなたを冷たいと感じる。実はあなたはただ、関心の出口を別の所に変えただけだ。問題を片づけることが、感情をぐるぐる回るより役に立つとあなたは信じている。
これは共感ができないということではない。あなたはただ、優しさを行動の中に隠しただけだ。あなたは綺麗な言葉は言わない。でも雨の日、予備の傘を一本多く持っていくのはたいていあなただ。引っ越しの時、いちばん重い箱を何も言わずに二階まで担ぐのもあなただ。あとで一人の友人が言っていた。いちばん辛い時、記憶に残っていたのはあなたの「私にできることは何、言って」という言葉だと。皮肉なことに、あなたの静けさそのものが一つの思いやりなのだ。ただ、それは読み方を覚えなければならない言葉で語られている。
アイエスティージェイと付き合う上で、いちばん怖いもの
あなたがいちばん怖いのは、「ドタキャンされること」と「適当にあしらわれること」だ。あなたは時間を守るから、他人も守るべきだと決め込む。あなたは真面目だから、どうして人が約束を空気のように扱えるのか理解できない。信頼が何度も軽い調子で壊されても、あなたは大声を出さない。ただ黙って、その人を「大切な名簿」から消す。あなたのよそよそしさはとても静かだが、喧嘩よりもずっと徹底している。その格下げをあなたが告げることはない。ある日ふと名前が消えているのに気づき、もう待たなくていい安堵が、ほどほどの平穏に近い。
あなたが守っているのは規則ではなく、心遣い
他人はあなたを定刻通りの時計のように見る。でもあなたが守っているのは手順ではない。「あなたのことが大事だ」という事実そのものだ。約束のために二歩多く歩くのは、その「言った通りにする」という清々しさを大切にしているからだ。あるアイエスティージェイが私に言っていた。毎年亡くなった祖父に手紙を書く。誰に見せるためでもなく、自分に「覚えておく」と約束したからだ。この執念は、冷たい世界ではめずらしい暖かさだ。柔軟に見せるために、自分を丸く削る必要はない。規則は曲げられても、その裏にある気持ちはそう簡単には曲がらない。
あなたの愛し方は、長く続く安定
あなたは「好きだ」と簡単には言わない。でも相手のコーヒーの好みを三年続けて覚えているし、相手が落ち込んだ時は何も言わずに支えに回る。他人にとっては些細なことだが、あなたにとってそれは「私はここにいる」を最も実際に書く方法だ。多くの人は派手で激しいものを追うが、あなたは優しさを日々の生活の中に広げた。この静かな、長い情けは、実は甘い言葉より難しく、時間にもよく耐える。安定は情熱の欠如ではない。たいていの場合、情熱がただ地味な服を着ているだけだ。
あなたがいちばん粗末にしがちなのは、自分
あなたは他人を支える時は一切惜しまない。ところが自分が休む番、断る番、息をつく番になると、「もう少し頑張ろう」と思ってしまう。あなたは自分にいちばん高い基準を課すが、人間が機械ではないことを忘れている。あるアイエスティージェイが私に言っていた。病気でも「予定を狂わせる」と感じ、休むことは悪いことをしたようだという。他人があなたを信じる元になっているその基準が、そのまま静かにあなたをすり減らしている。
でもあなたが支えたその物事は、誰もあなたに健康を替えにしろとは頼んでいない。あなたは、他人にするような忍耐で、一度だけ自分を大切にされてもいい。頼りになることを、自分への厳しさに変えてはいけない。
その真剣さを、少しだけ自分に取っておく
あなたのいちばんの盲点は、自分自身を「期限通りに納めなければならない仕事」だと思っていることだ。計画が終わらないと自分を責め、生活が少しだけ制御を離れると焦る。でも人間は時計ではない。時々少し遅く進んでも、壊れたという意味ではない。遅れた仕事はスケジュールの問題だ。遅れた人間は、それでも人間のままだ。
まず、あなたは疲れる人間だ
「自分への要求」と「自分の価値」をあまりに強く結びつけてはいけない。一つのことが満点でできなくても、ひそかに自分はダメだと思う。でも世界は試験場ではないし、あなたは満点を出しに来たのでもない。時々「まあまあでいい」を自分に許すのは、緩みではない。長く動く自分に出口を一つ残すことだ。
あなたが世界に差し出すその着実さを、少しは、他人には絶対に約束を破らないのに、自分にはいつも厳しい自分にも分けてやっていい。真剣さはあなたの地色であって、檻ではない。
もしあなたがこのようなアイエスティージェイなら、他人に「言った通りにする」その忍耐を、いつも他人の尾を引き取っている自分にも少し分けてみてはどうだろう。あなたは、自分に優しく見逃してもらっていいのだ。一度だけ。真剣さなど決して欠点ではない。それはただ、あなたが世界を、そして自分自身を知る一つの方法に過ぎない。音を立てない古い時計のように、毎日定刻通りで、そして定刻通りに見てもらう価値がある。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。