なぜ私はにぎやかな場所に行くと、すぐ明るくなれるのか
DustEcho編集部

会社の忘年会では、あなたはいつも一番に舞台へ飛び出す人です。友だちの集まりに顔を出すと、その瞬間、空気が生き返ります。あなたがわざと注目を集めているわけではありません。にぎやかであることそのものが、まるで日の光があなたに降り注ぐようだからです。あの空気の中に一歩踏み込んだとたん、あなた全体が明るく輝きだすのです。
このような人は、よく「イーエスエフピー」というタイプに分類されます。外向と感覚と感情と知覚。周りはあなたのことを「遊び好き」「何も考えてなさそう」と言いますが、本当はあなたがただ、今この瞬間をおいしく、おかしく、過ごしやすくする方法を生まれつき知っているだけなのです。
あなたは今という瞬間を、覚えておく価値のあるものにする
イーエスエフピーは感覚と感情のなかで生きています。食事ならおいしいかどうかを気にし、旅なら楽しいかどうかを気にし、人との関係なら一緒にいて甘いかどうかを気にします。あなたは先のことを心配して溜め込むのが得意ではなく、むしろ「今、良いかどうか」に力を使いたがります。この能力はとても珍しいのです。世界はすでに十分に張り詰めているのに、あなたは人がほっと息をつけるような存在です。
あなたは場の空気を気遣うのも上手です。誰かが場に煮え切らないでいると、あなたはうまくその人を助け出す言葉を渡し、誰かが落ち込んでいると、その人を引っ張って踊らせます。あなたはわざと機嫌を取っているのではなく、ただ場が冷えるのを見ていられないのです。あなたは多くの人にとっての「楽しさのスイッチ」なのです。内気な友だちは、集まりのたびに逃げ出したくなるけれど、あなたがいればもう三十分は残っていられると言っていました。なぜならあなたはいつも「ただいる」を「おもしろい」に変えてくれるからです。
何も考えていないのではなく、今を無駄にしたくないだけ
あなたは将来を気にしていないとよく誤解されます。本当はあなたが考えたくないのではなく、むしろ「今日を良く生きること」そのものに意味があると信じているのです。先のことを「いつか」と待って人生を費やす人を、あなたはあまりにも多く見てきました。だからこそ、目の前にある光をまず受け止めることを選んでいるのです。
あなたが人に贈る品物は、たいてい一番高いものではありませんが、一番ぴったりのものです。選ぶとき、あなたの心にはその人の笑顔がちゃんと入っているからです。あなたの気遣いは、ここそして今という場所に落ちているので、それだけとびきり本物なのです。
あなたは平凡な日々に、甘みを生み出す
他の人がふつうだと思う食事の集まりでも、あなたはいつか何かをひねり出します。ふと思いついて出した甘いお菓子、その場で考えた遊び、全场を爆笑させるひと言。あなたはわざとやっているのではなく、生まれつき「楽しい」ことは真剣に扱う価値があると思っているのです。
この才能は、誰もが張り詰めている日々のなかで、やさしい反抗です。あなたは周りの人に教えてくれるのです。今という瞬間も、十分に良いのだと。
なぜあなたは静けさを恐れるのか
あなたにとって静けさは、一人でいることとは違い、電源を抜かれたようなものだからです。あなたは人や笑い声や色を必要として、初めて自分が電源に繋がったと感じます。孤独を感じたとたん、あなたは本能的に外へとにぎやかさを探しに出て、その穴を埋めようとします。
あなたが一人でいられないわけではありません。ただ、静かななかで自分を置いておく方法をまだ覚えていないのです。静かになると、あなたが飛ばしてきたことたちが、実はまだそこにあると認めなければならないのが恐いのです。たとえば、ずっと読むのを先送りにしている健康診断の結果。あるいは、平気なふりをしているけれど、実は変わってしまった関係。
あなたは楽しくなると、人を引き込む
あなたは耳に残る歌を聞くと、すぐ隣の人の肩を揺すります。「聞いて聞いて」と。世界中が一緒に揺れることを願うほどです。あなたがわざと騒いでいるのではありません。あなたのなかで楽しさが蓄えきれず、分け合わないと完結しないのです。
あなたは小さな太陽のようです。明るいときは、その光で一面を照らしたいのです。それは悪いことではありません。ただ、ときには楽しさがあなた一人のものであっても良いと許してあげてください。誰かの相手がいなければ楽しいと言えない、と思わなくても良いのです。
あなたは冷えた場を、生き返らせる
食事の場で誰かが場を冷やすようなことを言い、空気が張り付く。あなたはすぐに害のない冗談で受け、あるいは別のにぎやかな話題へと話をそらします。みんなが笑い声をあげ、気まずさはするりと過ぎ去っていくのです。
あなたは生まれつき場の温度を読むのが上手で、冷えた場所へ行って温めます。この才能はとても貴重です。でも「みんなを気持ちよくさせる」ことをあなたの務めにしないでください。場が少し冷えたところで、天は落ちません。
解散後のあの空っぽを、あなたは見ないふりをする
集まりが終わり、あなたは家へ帰る道を歩きます。にぎやかさはまだ体にくっついていますが、歩けば歩くほど静かになり、心は穴を開けられたようです。あなたは振り払おうと足を速め、家に帰るとテレビの音を最大にします。
あなたが恐れていたのは、決して一人であることではありません。その空っぽが一度聞こえてしまうと、自分と向き合わなければならないからです。でも、その穴はテレビをつけていても消えません。ある夜、音を小さくして、中に本当は何があるのか見てみてください。
あなたは楽しさを、責任にしてしまう
部屋中が黙り込むと、あなたはスイッチを押されたように、たとえ自分も疲れているときでも、場の空気を持ち上げなければなりません。あなたはいつも「場を冷めさせてはいけない」と思い、冷めたら自分のせいだと感じています。
あなたは人の楽しさを肩に抱えすぎて、自分にも疲れる権利があることを忘れています。楽しさは分かち合うものであって、務めではありません。ときには場が少し冷めることを許してください。誰もあなたを責めませんし、あなたも息がつけます。
あなたは誰が何を好きかを、覚えている
友だちがふと、あるお菓子が好きだと口にします。半月後にあなたが出張から帰ると、その人に一袋そっと渡します。本人はとっくに忘れています。あなたがこれを覚えるのは苦になりません。そのとき、あなたは本当に心に留めていたからです。
このような覚え方は、いちばん素朴なロマンです。それは天を揺るがすようではありませんが、覚えられた人は自分が見られていると感じます。これは何でもないことだと思わないでください。多くの人は一生、こんなに真剣に思い出されたことがありません。
あなたも静かな人をうらやむ
他の人が一人でコーヒーを淹れ、午後いっぱい本を読んでいられるのを見て、あなたは好奇心とうらやみを同時に感じます。自分は外の音や光があってこそ生きていけるようだと。でも本当に二時間でも一人にされると、あなたは落ち着かなくなります。
あなたが無理して静かな人になる必要はありません。でもときにはその静けさを少し借りて、観客がいないとき自分が本当は何をしたいのかを見てみてください。その答えは、にぎやかさには渡してもらえません。一人でいることだけが、それを手渡してくれるのです。
あなたもにぎやかさのなかで、こっそり逃げたくなる
本当に盛り上がっている最中、あなたはふと意識が遠のき、すぐに消え去りたくなります。誰にも見つからない場所で眠りたくなるのです。でもあなたは笑ったまま動きません。「みんながあなたに場を支えてもらっていると思っている」からです。
あなたが毎回、火をつける人でなければならないわけではありません。ときには集まりを少し自分で冷めさせて、あなたも早めに退場して休んで良いのです。本当の友だちは、あなたの体を引き留められ、あなたが先に帰ることも許してくれます。
その光を、向き合うべきことへも照らして
もしあなたがこのようなイーエスエフピーなら、いちばん勇気のいる一歩は、いちばん逃げ出したいときに、一度だけ逃げないことを選ぶことです。それからずっと楽しくないわけではありません。いつも他人を照らすあなたが、自分の影と向き合う勇気も持つということです。
あなたが世界にもたらす楽しさは本物です。そしてあなたが自分のことも真剣に一度でいいから向き合ってくれるとき、その楽しさは初めてしっかりと立つようになります。にぎやかさは散りますが、本当の自分と向き合う勇気を持ったあなたは、どの集まりよりも明るく、残しておく価値があります。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。