なぜ人に親切にされると居心地が悪くなるのか
DustEcho編集部

あなたは気づいているかもしれない。人を助けるときのあなたはごく自然だが、立場が逆になると——誰かがおごってくれたり、物をくれたり、わざわざ世話をやいてくれたりすると——あなたはおかしくなる。お礼を言いすぎ、同等に返そうと焦り、あるいは「いやいや、迷惑だよ」と断ってしまう。感謝したくないわけではない。その親切が体に降りてくると、サイズの合わない服を着せられたような気分になるのだ。
善意を受けとめるほうが、与えるより難しい
周りはあなたが単に丁寧だと思っている。本当に引っかかるのは「与えられる」という行為そのものだ。あなたは小さい頃から、たぶん他人の面倒をみる側だった。しっかりしていて、頼りになって、心配をかけない。その姿があなたに安心をくれていた。「誰もいらない、自分ひとりで立てる」と。だから誰かが腰を折って良くしてくれると、その立ち方が崩れる。手をどこに置いていいか分からない。世話をされる自分は、あなたにとって見知らぬ人だからだ。
怖いのは親切ではなく、借りだ
もっと深くを言えば、あなたは受け取ることと借りを作ることを同じにしてきたのだろう。人に良くされると、頭の中で帳面を開く。「この恩は返さなきゃ。しかも相手より重く返さないと、帳尻が合わない」。でも日常の親切の多くは取引ではない。友だちがついでに買ってきてくれた飲み物、パートナーが余分に洗ってくれた皿。これらに値段はついていない。あなたはそれらを皆「何か返さなきゃ」と変換してしまうから、いちばん単純な気遣いさえ重くなる。
値しないのではない、手を離せないだけだ
素直に人の好意を受けとめると、自分が「一段下がった」ように感じたことはないだろうか。自分も世話になっていいのだと認めることは、十分に強くないと認めることだと思ってしまっているのかもしれない。それは「自立」と「頼らない」を混同している。本当にしっかりした人は、与えも受けもできる。あなたがその親切に値しないのではない。ただ手を緩められないだけだ。緩めれば、疲れていて弱い自分が見えてしまうのが怖いのだ。
「ありがとう」は一度だけ言ってみる
小さなところから練習できる。次に誰かが良くしてくれたとき、「今度は私がおごるね」という言葉も、すぐに返そうとする衝動も飲み込む。ただ一度「ありがとう」と言って、その親切を体に数秒だけ置いておく。押し返さず、替えず、逃げない。すると分かるはずだ。相手は帳面をつけてなどいない、ただあなたに良くしたかっただけだと。そしてあなたが落ち着いて受けとめられれば、関係はかえって近づく。近づくことなど、もとから双方向だから。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。