なぜ上手くいきそうな時に手を離すのか
DustEcho編集部

もうすぐ出来上がる。あと一手で、あなたは突然手を離す。放っておいて、別の新しいことを探しに行く。気づいた時には、形になりかけたものはすでに冷めている。あなたが根性なしなのではない。「もうすぐだ」という一瞬が、「始めたばかり」よりずっと怖いのだ。
完成していないものは、いちばん安全だ
出来てしまうまでは、それはあなたの想像の中にいる。うまくいくかもしれない、すごいかもしれない。その可能性は柔らかで、どう解釈しても自由だ。でも本当に出来上がった瞬間、それは想像から現実に落ち、形のある、責任を持つべきものになる。多くの人は無意識にその「まだ検証されていない可能性」を守り、検証される直前に自分の手で降ろしてしまう。結果が欲しくないのではない。何でもありの安全圏を失うのが惜しいのだ。
出来れば、その後を背負わなければならない
もっと実際的な怖さはこうだ。本当にうまくいけば、大変なのはその後だ。維持し、約束を果たし、「次はどうする」に向き合う。始める時のワクワクに比べ、終わった後の重みはずっとリアルだ。だから体が代わりに決める——提出直前に逃げる。あなたは怠け者だと思うが、本当はあの答案を出した後、生活が「準備中」の楽な場所に止まる口実を失うのが怖いのだ。
「始めが得意な人」になってしまった
決定的な瞬間に毎回手を引くと、脳はこっそりこう記す。始めは楽しい、終わりは危ない、と。だから火をつけるのは上手になり、火を収めるのは下手になる。新しい企画はやる気が出るが、深いところに来ると理由をつけて離れる。やがて「あと少しで出来た」半端なものがたまって、それが「やはり大きなことはできない」の証拠になる。でも本当に阻んでいるのは能力ではなく、ゴール手前でいつもブレーキを踏む癖だ。
「あと少し」の瞬間に、クッションを置く
次に手を離したい衝動を感じたら、動かないでほしい。それを命令ではなく合図として受け取る。ああ、この件が怖いのではなく、本当に出来てからの責任の連鎖が怖いんだな、と。そして目の前のいちばん小さな一歩だけを試す。そのメールを送る、そのコードを走らせる、と。後の三年を考えろとは言わない。たいていその一拍を耐えれば、ものは着地する。そして着地は、頭の中で作ったほど恐ろしくない。
あなたはやり遂げられないわけではない。ゴール手前でもう少し息をつく余地が必要なだけで、別の局を開くために振り向く必要はない。
DustEcho編集部が執筆・確認した自己観察と文化的探求のための文章であり、カウンセリング・医療診断・専門的助言ではありません。