反吟:ほっと息をついた直後、物事が裏返る
DustEcho編集部

四柱推命という、干支を用いて時を記す体系の中に、ある特別な状態を表す言葉がある。それが「反吟」だ。天干と地支が、ある位置とちょうど向かい合い、二つの力が反対の方へ同時に引っ張るような状態を言う。この言葉が指すのは、具体的な出来事そのものではない。人生によくある、ある種の裏返しの体験だ。さあ落ち着いた、ほっと息をついた、その直後に物事が急に反対へ向かう。あたかも天秤の一方が沈み、もう一方が弾み上がるように。
この「いきなり裏返る」感覚は、ほとんど誰もがぶつかっている。
運が悪いのではない、二つの力が引っ張っているのだ
反吟でもっとも眩暈がするのは、その裏返りに筋道がないことだ。さっきまで順風満帆だったのに、次の瞬間に平らの水から波が立つ。まとめたばかりの話が、一夜で白紙になる。緩んだばかりの関係が、ひと言でまた凍りつく。人はこれを「私は不運だ」とか「どこか間違えた」と説明したくなる。しかし反吟が指すのは、あなたの過ちではない。その時期に、二つの気が反対の方へ向かっており、あなたはたまたまその境目に立っていたということだ。
小さな商売をしている知人がいる。繁忙期に大きな仕入れをして、儲かりそうな手前まで来た。だが物流が突如として滞り、客が直前で取り止めた。一週間も経たぬうちに、有頂天から右往左往へと変わった。彼は「欲をかいたせいか」と何度も思った。だが本当は、その頃の市場の気と彼の気がちょうど衝突しており、その接点に立つ者は誰でもひと押し受けたはずだ。反吟は罰ではない。力のずれであり、あなたはただその位置にいただけだ。
もっと日常的な例を挙げよう。ある人は一か月連続で残業し、やっと企画が動き出した。彼は大きく息をつき、その夜、友人と祝いの席を設けた。食事の最中に、家の水道管が破裂して水浸しになった。濡れた居間に座り、彼はしばらく言葉が出なかった。不運な日というわけではない。ほっとしたその息が、反対から来る別の力にぶつかったのだ。反吟が指すのは、たいていこのような「力を抜いた直後、ひと押しされる」ずれの感覚である。
だから反吟が来たら、まず自分を裁くことを急いではいけない。それが指すのは「衝突」であって「報い」ではない。「どうしてこんなに不運だ」を「あ、今は二つの力が腕相撲をしているな」に替えれば、自分の内に少しだけ余白が生まれる。その余白は小さく見えて、実は大きい。裏返りを自分への裁きと見なさなくなれば、まず自分を崩すことなく、事態そのものに力を回せる。
裏返る時、いちばん恐いのは慌てて塞ぐこと
反吟が人を陥れるのは、裏返りそのものではない。裏返った瞬間の本能的な反応——むやみに塞ごうとすることだ。崩れたところを急いで埋め、緩んだ端を慌てて押さえつける。だがそうすると余計に乱れる。二つの力はまだ引っ張っているのに、手で押さえれば手がその間に挟まれるからだ。
夫婦の例を見たことがある。喧嘩の後、仲直りした。一方がまた喧嘩するのを恐れ、必死に機嫌を取って言葉を全部飲み込んだ。三日耐えたが、言えなかった気が別の隙間から爆発し、それまで以上にひどくなった。仲直りが無効だったのではない。反吟の最中は、関係という天秤がまだ揺れており、一方を押さえつけるほど強く、もう一方が弾むのだ。
別の例もある。起業家が会社に投資を得て、すぐに大拡張し、人を増やし事務所を広げ、好機を逃すまいとした。だが市場の気が変わり、収入が追いつかず、資金繰りが危うくなった。彼は後に分かった。裏返った瞬間にすべきは「すぐにもう一方を押さえつける」ことではなく、まず立ち止まって、二つの力がまだ引っ張っているかを見きわめることだ。たいてい、裏返りがもっとも激しい時を耐えれば、そのうち緩む。塞ぎすぎるとかえって乱れる。
もっと安定した構えは、裏返った時は動かず、その衝突する気が一段落するのを待つことだ。反吟の辛さの多くは、もっとも揺れるその勢いを過ぎれば、自然に緩む。毎回の裏返りをすぐに片付けなくていい。時には「まだ動かない」が「すぐに補う」より効く。焦りこそ、反吟の最中にもっとも高い税だ。焦ると手が伸びて押さえ、押さえたら挟まれる。
裏返っても、また裏返るかもしれない
反吟には特徴がある。一度で決着がつかないのだ。今日はこの端が沈み、しばらくすればまたあちらが沈む。だから人は「さっき良かったのに、どうしてまた悪くなった」「さっき悪かったのに、どうしてまた良くなった」と感じる。潮のようにはね返る。
文章を書く知人がいる。投稿が続けて断られ、筆を折ろうと落ち込んでいた。すると突然、大きな媒体から声がかかった。喜んで二日もたたぬうちに、その媒体が方向を変え、依頼はまた白紙になった。しばらく、彼は自分を弄んでいるように感じた。だが彼は学んだ。良いことが来ても全てを信じず、悪いことが来ても全てを慌てず。反吟が指すのは、行き来する揺れであって、一方通行の墜落ではないからだ。彼は書くことを日常とし、端が上がって舞い上がることも、沈んで落ち込むこともなく、かえってより安定したものを書くようになった。そもそも反吟が人を振り回すのは、決して一度の裏返りそのものではない。人が「裏返り」ということに感じる意外さだ。それを意外と思うほど、あなたを狙っているように見える。潮と思えば、行き来するはね返りは当たり前になり、心は一緒に裏返らなくなる。
反吟が人に教えるのは、たいてい「執着しない」という姿勢だ。良いものを死に物狂いで握らず、悪いものを運命とあきらめず、この時期はただ揺れているのだと知る。揺れ去れば、また平らな道だ。執着しないことは、真剣でないことではない。手を離すべき時は離し、掴むべき時は掴む。ただ、どの揺れも永遠と思ってはならない。
それを終わりと思ってはいけない
反吟に直面して、人はひとつの過ちを犯しやすい。毎回の裏返りを「最終的な結末」と思うことだ。良いが悪に裏返れば「私は終わりだ」と。悪いが良に裏返れば「これで安心だ」と。しかし反吟が指すのは、過程の中の揺れであって、蓋をした判定ではない。
すべきなのは、裏返る時、自分の重心を保つことだ。天秤が揺れるのは、あなたが斜めに立っているからだ。真ん中へ寄れば、どんなに揺れても投げ飛ばされない。具体的には、悪く裏返った瞬間に、大きな決断(退職、別れ、清算)を急いではいけない。その衝突の勢いが過ぎるのを待つ。良く裏返った瞬間も、舞い上がるな。また揺れ戻るかもしれないと知り、得た利益をまず手元に落とすのだ。
私には習慣がある。裏返りがもっとも激しい日は、何も署名せず、何も約束しない。ただ考えない些事をする。翌日、その勢いが過ぎてから、昨日やりたかったことを振り返ると、十回のうち九回は動かずにいて良かったと思う。反吟は、いつまでも張り詰めろと言うのではない。揺れがもっとも激しい時、自分を差し出すなと言うのだ。覚えておけ。揺れは過程であって、結末ではない。あなたが真ん中に立ち、揺れ終わるのを待てば、道はやはり平らだ。
最後に
反吟は呪いではない。ひとつの気づきだ。いくつかの物事は、たった今落ち着いた直後に裏返る。それはあなたがダメだからではない。その時期に二つの力が反対へ向かっており、あなたがたまたま境目に立っていたからだ。それは裏返り、また裏返るかもしれない。潮のようにはね返る。
次に物事が急に裏返った時、運を呪うな、慌てて塞ぐな。まず立ち止まれ。その勢いが一段落するのを待て。そうすれば分かるはずだ。天秤がどんなに揺れても、あなたが真ん中に立つ限り、投げ飛ばされることはない。
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